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第2話 本当の真価はココにある

last update publish date: 2026-07-02 17:49:28

 翌朝。目を開けた瞬間、いつもと違う気配に気づいた。

 狭い部屋の隅。窓から差し込む薄い光の中で、少女が静かに立っている。

 ミリスだ。

 昨夜、裏通りで買ったばかりの――。

 ……いや。

 その呼び方には、まだ慣れない。

「起きています」

 目が合うと、ミリスはすぐに言った。

 感情の起伏を感じさせない声。まるで、そこに立っているのが当然みたいな顔だ。

「……見れば分かる」

 頭を掻きながら起き上がる。

 昨夜、風呂に入れて泥を落とし、着替え代わりに自分の服を貸した。

 サイズは合っていないはずなのに、妙に様になっているのが少し腹立たしい。

「で、問題は……金がほぼ無いってことか」

 ぽつりと呟く。

 手元に残っているのは、最低限の生活費だけ。

 勢いで買ったはいいが、その後のことは考えていなかった。

 ……いや。考えても仕方がないと思っていた。

「ご主人様」

「それやめろ」

 即座に遮る。ミリスは一瞬だけ止まり、それから首をわずかに傾げた。

「では、なんとお呼びすれば」

「名前でいい。クラド」

「……クラド」

 少しだけ間を置いて、ぎこちなく呼ばれる。

 何より“ご主人様”という呼ばれ方も、まだ慣れない。

「とりあえず、行くぞ」

「はい」

 短い返事。それ以上の感情は見えない。

 ……分かりやすいくらいの“指示待ち”だ。

 身支度を済ませ、外に出る。

 朝の空気は冷たい。昨日の裏通りとは違って、まだまともな匂いがした。

 だがそれも、商会の建物が見えてくるまでだ。

「……おい、あれ」

「マジで連れてきてんのか?」

 入口の前にいた連中が、こちらに気付いて振り返る。

 視線が一斉にミリスへ向いた。

「聞いたぜクラド。お前、奴隷を買ったんだってなァ?」

 ひとりが冷笑混じりに言う。

 俺は短く答えた。隠す必要もない。

「ああ」

「ははっ、マジかよ。借金してまで趣味か?」

「飯どうすんだ? 二人分だぞ?」

「いや待て、そもそもそいつ、使えんのか?」

「無理だろ。顔死んでるぞ」

 好き勝手言いやがる。

 ミリスは何も言わない。ただ、じっとこちらを見ている。

 ……やめろ、その目。

「心配してくれてどうも。仕事するからどいてくれ」

「は? その状態で?」

「いやいや、まずそいつどうすんだよ」

 食い下がってくるが、無視して中へ入る。

 背後で、まだ笑い声が続いていた。

 ――分かってる。

 こいつらの言ってることは間違ってない。

 金もないのに奴隷を買うなんて、普通に考えれば失敗だ。

 それでも、手放す気はない。

 あの数字を見た以上、尚更な。

 ……いや。それだけじゃないか。

 そもそもの最初で、あのまま置いていく。なんて選択肢はなかった。

 中に入ると、いつもの雑然とした空気が迎えてくる。

 木箱が積まれ、売り物なのかゴミなのか分からない品が床に転がっていた。

 俺は慣れた足取りで奥へ進み、空いている作業台の前で止まる。

「……とりあえず、ここ使うか」

「はい」

 ミリスが一歩後ろで止まった。そのまま動かない。

 視線だけがこちらに向いている。

 ……完全に命令待ちだ。

「えっと、ミリス」

「はい」

「何かできることあるか?」

 荷運びでも仕分けでもいい。

 雑用が一つでもできれば助かる。

 だが、返ってきたのは予想外の答えだった。

「命令を、お待ちしています」

「いや……そういう意味じゃなくて」

 思わず言葉が詰まる。

「自分で動こうとか、ないのか?」

「命令がなければ、動きません」

 迷いのない声だった。当たり前のことを答えているだけ、そんな顔をしている。

 ……なるほど。これが奴隷か。

 言われたことだけやる。余計なことは考えない。

「ご主人様の役に立つことが、私の価値です」

「ご主人様は、やめてくれ」

 小さく手を振る。

「クラドでいいから」

「……クラド」

 ぎこちない呼び方だった。名前を呼び慣れていないのかもしれない。

「あと、その……価値って話だけど」

 少し言葉を探す。

「確かに、お前は俺が買った。そこは事実だ」

 ミリスは黙って聞いていた。

「でも、別に物みたいに扱うつもりはない」

「……物、ではない?」

「いや、まあ……うまく言えないけど」

 頭を掻く。

 こういうのは苦手だ。

「働いてもらうのは助かる。でも、“命令されるまで何もしません”は困るっていうか」

「困る?」

「俺、そんな細かく指示できるタイプじゃないし……」

 情けない言い方になった。だが、本音だ。

「分かる範囲でいいから、自分で考えて動いてくれると助かる」

 ミリスは少し黙り込んだ。

 何かを考えるように視線を落として、それから小さく口を開いた。

「……考えて、動く」

「難しかったら、少しずつでいい」

 別に今すぐ変われと言いたいわけじゃない。

「失敗しても怒ったりしないから」

「……はい」

 短く返事が返る。まだぎこちないが、さっきよりは少し柔らかかった。

「じゃあ、とりあえずこれ頼めるか」

 近くの箱を軽く叩く。

「中身を種類ごとに分けといてほしい。危なそうなのは触らなくていい」

「分かりました」

 ミリスはすぐにしゃがみ込み、箱の中身を確認し始めた。

 動きは静かで、妙に丁寧だ。俺も隣の箱に手を伸ばす。

 そのときだった。

「おいおい」

 背後から笑い混じりの声が飛んでくる。

「ちゃんと飼い主ごっこしてんじゃねぇか」

 同僚の男たちが、面白そうにこっちを見ていた。

「……別に、そんなんじゃ」

「昨日まで自分の飯代で困ってた奴が、急に家族持ちかぁ」

「そのうち“パパ”って呼ばせるんだろ?」

 周囲で笑いが起きる。

 俺は苦笑いだけ返して、箱に視線を落とした。

 言い返したところで、どうせまた笑われる。

「つーかクラド、お前マジでどうすんの?」

「その子の飯代だけで詰むだろ」

「まあ……なんとかする」

「雑っ」

 また笑いが漏れる。

 ミリスは手を止めず、静かに仕分けを続けていた。

 ただ、時々こちらを気にするように視線だけ向けてくる。

 ……昨日まで、一人だったんだよな。

 ふとそんなことを思う。

 裏通りの隅で、誰にも見向きもされず座っていた姿が頭をよぎった。

 少なくとも。あそこに置き去りにするよりは、マシだ。

 そんなことを考えた、次の瞬間だった。

 外から、何かが割れる音が響いた。

 乾いた破砕音。続けて怒鳴り声が飛び込んでくる。

「……なんだ?」

 店の空気が一瞬で変わった。

 作業していた手が止まり、従業員たちが一斉に入口を見やる。

 次の瞬間、商会の扉が乱暴に蹴り開けられた。

 激しい音と一緒に、冷たい外気が流れ込む。

「よう。景気良さそうじゃねぇか」

 入ってきたのは、五人組の男たちだった。

 革鎧に粗悪な剣。無精髭。酒臭い息。

 まともな客じゃないのは、一目で分かる。

 先頭の男が店内を見回し、鼻で笑う。

「金目のもん、全部出せ」

 ……盗賊か。

 誰かが小さく息を呑む。

 だが、反抗する声は上がらなかった。

 この商会に腕の立つ護衛なんていない。

 いるのは雑用係と荷運び、それに俺みたいな半端者だけだ。

「ま、待ってくれ! うちはそんな大した店じゃ――」

 店主が慌てて前に出る。

 だが、男はその胸ぐらを乱暴に掴み上げた。

「あるかどうかは、俺らが決める」

 そのまま突き飛ばす。

 店主の体が棚にぶつかり、積まれていた木箱が崩れ落ちた。

「ひっ……」

 従業員の一人が短く悲鳴を漏らす。

 普段俺をからかっている連中まで、顔を青くして固まっていた。

「お、おい……どうする?」

「どうするって……」

「衛兵呼べよ!」

「その前に刺されたら終わりだろ!」

 小声が飛び交う。

 だが、誰も動けない。

 盗賊たちはそんな反応を見て、余計に気を良くしたらしい。

「ほらほら、もっとマシなもん置いとけよ」

「これ商会っていうよりゴミ捨て場じゃねぇか?」

「ははっ、違いねぇ」

 好き勝手に笑いながら、店の中を漁っていく。

 棚を開け、木箱を蹴り倒し、気に入らなければそのまま床へ放り投げる。

 ガラクタが転がり、割れた皿の音が響いた。

 ……最悪だ。

 だが、どうしようもない。

 俺だって分かっている。

 相手は武器を持った大人だ。

 まともに殴り合って勝てる相手じゃあない。

 その時だった。

「……お?」

 一人の盗賊の視線が止まる。

 向いた先は――ミリスだった。

 白銀の髪。サイズの合っていない服。

 薄汚れていても、その見た目はよく目立つ。

 男がニヤリと口を歪める。

「なんだ、掘り出し物あるじゃねぇか」

 嫌な空気が背筋を走った。

 男がミリスへ近づく。

「おい、お前。こっち来い」

 まるで商品を選ぶみたいな口調だった。

 ミリスは動かない。ただ、こちらを見ている。

 ……命令待ちかよ。

「聞こえてんのか?」

 男がさらに近付く。

 手が伸びる。

 その瞬間。気付けば、俺は前に出ていた。

「……触るな」

 声は思ったより小さかった。それでも、盗賊の手は止まる。

「……あ?」

 ゆっくり視線が向いた。

 値踏みするような目だ。それだけで喉が乾く。

「なんだお前」

「そいつに……手ぇ出すな」

 言いながら、自分でも分かる。

 足が震えていた。

 怖い。

 まともに喧嘩なんてしたこともない。

 相手が本気になれば、一瞬で終わる。

 でも。ここで退いたら――。

 ミリスはまた、あの裏通りみたいな場所へ戻される。

 そう思ったら、体が勝手に動いていた。

 盗賊は一瞬ぽかんとしたあと、吹き出した。

「ははっ、マジか」

 周囲の仲間も笑い始める。

「お前が守んのか? その細腕で?」

「無理だろ、見た感じ」

 笑い声が店の中に広がる。

 後ろでは、商会の連中まで青い顔をしていた。

「お、おいクラド……やめとけって……」

「相手にすんな……!」

 聞こえる。でも、足は動かなかった。

「……どけ」

 盗賊が面倒そうに言う。

 俺は小さく首を振った。

 本当に、それだけしかできなかった。

「はぁ……」

 男が呆れたように頭を掻く。

「なら、死んどけ」

 次の瞬間。視界が横に吹き飛んだ。

 何が起きたのか理解する前に、体が床へ叩きつけられる。

「がっ……!」

 息が詰まる。

 頬が熱い。

 殴られた。

 たった一発で、頭の中が真っ白になる。

「クラド!」

 誰かの声が聞こえた。だが、誰も動けない。

 店の空気は完全に凍りついていた。

「さて、と。邪魔な虫も潰したし――」

 盗賊の男が、ミリスの腕を乱暴に掴む。

 痩せ細った体がぐらりと揺れた。

「小汚えけど、顔は悪くねえな」

「磨けば高く売れそうだな」

「性奴隷向きじゃね?」

 男たちが下卑た笑い声を上げる。

 その間も、ミリスは抵抗しない。腕を掴まれても、乱暴に引っ張られても、ただ黙ったままそこに立っていた。

 助けを求めることもしない。

 まるで、自分にそんな価値はないとでも思っているみたいだった。

 胸の奥が、妙にざわつく。

 違うだろ。

 そんな風に扱われていいわけがない。

「……勝手に決めんな」

 気付けば、口が動いていた。

 盗賊たちがこちらを振り返る。

 俺はふらつきながら立ち上がった。

 殴られた頬が熱い。膝も笑っている。正直、今すぐ逃げ出したかった。

 それでも、ここで目を逸らしたら、一生後悔する気がした。

「ミリスの価値を……勝手に決めんなよ」

 俺の声に、盗賊たちの笑みがすっと消える。

「なんだお前、まだいたのか?」

 呆れたように男が言う。

「奴隷一匹にムキになりやがって。そんなに大事なら、お前もまとめて売ってやろうか?」

 ゲラゲラと笑いが起きる。

 怖い。

 相手は武器を持った盗賊で、俺は雑用係だ。まともに殴り合えば、一瞬で終わる。

 でも、それがなんだ。

 ミリスは物じゃない。勝手に値段をつけられて、好きに扱われていい存在じゃない。

 だから。

「ミリスの価値は……」

 自分でも驚くくらい、はっきり声が出た。

 盗賊たちが眉をひそめる。

 俺は震える足を踏みしめながら、ミリスを掴んでいる男を睨み返した。

「ミリスの価値は――俺が決める!」

 その瞬間だった。

 左手にはめた指輪が、突然熱を帯びる。

「……っ?」

 視界の奥で、見慣れた数字が激しく明滅した。

 《鉄の剣:120G》

 《木箱:3G》

 浮かび上がる数字が、次々に書き換わっていく。

 いや、違う。

 これは“見えている”だけじゃない。

 まるで自分の意思に反応するみたいに、数字そのものが揺らいでいる。

 指輪の光が強くなる。

 同時に、頭の奥へ直接何かが流れ込んできた。

 価値を書き換えろ。

 お前が決めろ、と。

「――【価格表示】が、変化してる……?」

 脳裏に浮かんだ文字が、ゆっくりと塗り替わる。

【価格表示】――

【価格操作プライス・カスタム】

 その瞬間。

 目の前の世界が、まるで別物みたいに見えた。

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